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■ロケ支援が「世界平和」を目指せるワケ 

>そうか 金子さん 目指すは「世界平和!」だったのね?・・・(笑

のコメントを受けて。この話しはじめると長いよー。どこから書こう。

■ロケ支援の魅力
十代に東京で体験したとき思った。目先のことを考えたら、日本のこと考えるし、すると外国との関係まで考えなくちゃいけないんだと。沼津に戻って商売やらなくちゃならない。目先の商売考えたら、同じく海外まで考えた。うんで、沼津では既存の仲間いないから、自分ができることからはじめようと沼津JCに入った。限界と可能性の両者を感じた。東京では自分より10歳20歳年上の人たちに混ぜてもらって活動していたから、複数分野の世界が一緒くたにあった。沼津JCで事業やらせてもらってわかったことは、福祉、環境といった分野だけでなく、福祉のなかでも細分化されていること。横の組織の繋がりが少ないと。今ある環境でデカイ夢と現実できることと、自身の限界も感じていた10年前。フィルムコミッションの存在を知ったとき、これは横の連携が必要だと思った。フジロックじゃないけれど、目的が異なる団体や人々が連携するときって、何かワクワクするものがあって動かされることだと思っている。

自分の限界のなかには、目的達成のための手法、事業スタイル、組織形態によって、得られる賛同者も得られない。フィルムコミッションは手段であり、撮影支援のプロセスには、自らが生み出せなかったワクワク感をもたらすことができるのでは?と思った。そんなとき、この思いを沼津JCの仲間複数名にぶつけてみた。結果、創設メンバーであるM村氏と共に始動させることになったわけだが、彼は89年公開の映画「フィールド・オブ・ドリームス」のロケ地ツアーの面白さを教えてくれた。ヨン様ブームのような追体験ではなく、主人公と同じ「想い」にかられた人たちがロケ地でユニフォームを着るなどのアメリカらしいツアー内容とともに、自分の人生と重ねられる時を過ごせるのだ。限界とともに、地方を卑下していた自分がいたから、この話は私にもそんな感動体験を生み出せることができるかもしれない。とも思った。

(話それた)
ココまでは、会を立ち上げた動機に記している通りですが、ちょいと話飛躍して

■「さぁ来い、ハリウッド!」
M村氏との共通目標は夢はデカク!だったのかもしれない。今忘れている。(笑)日頃、活動や生活に没頭していると目先のことしか考えられなくなっているのだが、私個人は、当時こんな想いがあった。東京での知人からの活動レポートがときおり寄せられる。彼らは今も何かに一生懸命になっている。あるジャーナリストは、チェルノブイリその後を追って被爆し体に異変が起きていた。父ほどの世代になる彼が身体を壊してまでかられた使命。多かれ少なかれ何かと戦っている。そのギャップに「私は何もできていない」と悩んでいたときがあった。

■フィルム微助人冊子「ダイジェスト版」から引用(出かける時間になっちゃった)
学生時代の6年間、NGO団体に参加し「遠い世界につうじる問題でも、現場は常に足元にあり、現場は仲間がいれば変えられる。誰かを仲間に迎えたいと心底思った時に、誰かが既に仲間になっている。夢は走りながら考える。楽しめなくちゃ、力にならない。」国際NGOの活動シーンでは、周りには常に「体を張った人たち」がいた。様々な分野でムズカシイ社会問題に取り組み、圧倒的な暴力と向き合っている人達がいた。「命がけ」の人たちを前にして「いったい自分は何ができるのか、何をしたいのか」と自問し続け、無力感に落ち込んだ日々もあった。すべて「生身の」「名前がある」人びとが動かしていること。身近なものと感じてきた。だからこそ、無力な自分が悔しい。一人でリキむ10代。
そんな時、海の向こうの友人が言葉をかけてくれた。「キョーコ。平和も環境保護も、願いは『幸せな街』を作ることでしょ。あなたの取り組むべき現場は、あなたの足元にあるはずよ。」険しい顔した私に優しく微笑んで「笑顔で行こうよ。あなたが楽しめば、仲間ができて、ちからが生まれるはずよ。」目から鱗が落ちた瞬間だった。そこが原点。

そんなわけで、世界平和でして。それをかなえさせてくれる、理想とするロケ支援のプロセスについては、後日書きまする。

(仕事の呼び出しで、現実に引き戻される)
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■音楽は世界を変えられるか 

「どうしてこの活動(仕事)をはじめたんですか?」 

多くの人は、自身の人生の歴史のなかにきっかけや動機があるんじゃないかと思う。
さっきテレビ朝日「アメトーク」で、「JUN SKY WALKER」がライブをしていた。私も「イカ天」世代で最近もジュンスカCDを探したことがあり再結成を嬉しく思った。当時多くの仲間が「イカ天」に出場しメジャーデビューをしていった。後にも先にも音楽にはまった当時をふりかえり「アトミックカフェ・フェスティバル」をネットで検索。

12歳の時に知りあった東京の友人の母親がバリバリの活動家で、連れて行かれる先々の出来事に興味をもち影響を受けた。84年、大久保青志さんが主宰する「アトミックカフェ・フェスティバル」もその一つで、新宿ロフトで友人と二人、大久保さんに連れられて地下へ降りる階段でおしゃべりをしたことを思い出す。(インディース系のバンドだからレコードはソノシート以外に手に入らず、テープレコーダーでライブを録音し、家で音楽を楽しんでいた。テープを回すと大久保さんとの会話も録音されているのだ)その後主催していたピースボートという団体でのPRのため、(アトミックカフェ)日々谷野音や渋谷公会堂でステージに立ち、自分が発したメッセージ、会場の反応、熱気が、いまだ感覚として残っている。
インディーズと言っても、その数年後にはブルーハーツを代表にほとんどのバンドがメジャーデビューしていったから、テープレコーダーで音を持ち帰るほどの魅力があったわけで、当時幼く、こんなすげー人たち(バンド&運営スタッフも)は何が魅力で「アトミックカフェ」に賛同しているんだろう。と感じ、答えを見つけられないままでいた。

大久保さんはその数年後、政治活動を行い、現在も活躍している。ホームページの存在を知らなかった。「大久保青志と九条の絆で歩む会」で、大久保さんが何を思って活動していたのか、何故魅了された人たちが集まったのか、答えが見えた。

日頃政治家のホームーページやブログを見て思うのは、書いてある内容とご本人のギャップ。プロフィールしかり、そんな強い思いがあったなんて口には出さない(行動にも?)が、熱い思いを秘めていたのねん、なんて思う(皮肉です)。

大久保さんのことはよく存じ上げないが、音楽と反戦・反核をつなげた「アトミックカフェ」に影響を受けた私には、彼が政治を行うのはとても自然。現在も「NGOヴィレッジ」や「フジロック」など他方面でのご活躍があるそうで、さすがだなー!なんて感動している。

私を形成した十代の歴史に大きく影響を与えた「アトミックカフェ・フェスティバル」。東京から実家に帰ってきて、そういう世界からは離れてしまった。地元で何ができるか?国外から国内、県内に目を向けてみた。葛藤しつつも今のスタイルにまずは落ち着く。姿・形は異なれど、「●●を変えたい」と思いを形にした運動体としてのフィルム微助人。当時大久保さんが考えていた事の近くまでこれた気がして嬉しくてならない。

~ 大久保さんと日高正博さん(フジロック、スマッシュ)のお話 ~
「音楽は世界を変えられるか」「結論としては、変えられないと」「ただ、人々の意識を変えることはできる。それによってその人間がどう動くか? その源はロックによって発信できると僕は信じている」 (「LOFT PROJECT」大久保青志インタビューから)

そうだ!そうなんだ。私も申し子です。(笑) 「ロケ支援で世界平和を目指していますからぁ~」

■「知之者不如好之者、好之者不如楽之者」 

2004年にロケシンブンのダイジェスト版を発行したいとなって冊子を作った。あいさつ文を入れようと思ったが、悩んでいた。あんどある出来事でも悩んでいたときに、サポーター会員であるしもさんが「知らないより、勉強している方がいい、勉強しているより好きな方がいい、好きより楽しいがいい」と慰めてもらった。その言葉を(タイトル)ヒントに書いたあいさつ文。当時「人類皆兄弟」(笹川会長か!)が口癖だったなーと今振り返りに転載っす。


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「知之者不如好之者、好之者不如楽之者」
~ 知っているというのは好むのには及ばない。好むというのは楽しむのには及ばない。 ~
『論語 巻第三 雍也第六』

2004年7月3日
フィルム微助人理事長 金子恭子

  2001年秋九月、父の命日に始動させたのが、『めざせ!沼津フィルムコミッション』すなわちやがて我らが『フィルム微助人』の母胎となる、小さなちいさな活動体だった。 だからといって、特別感傷的になっているわけでもない。

この活動を始めて丸3年を迎えようとする今、自分の原点を振り返ってみる。

学生時代の6年間、NGO団体に参加し「遠い世界につうじる問題でも、現場は常に足元にあり、現場は仲間がいれば変えられる。誰かを仲間に迎えたいと心底思った時に、誰かが既に仲間になっている。夢は走りながら考える。楽しめなくちゃ、力にならない。」国際NGOの活動シーンでは、周りには常に「体を張った人たち」がいた。様々な分野でムズカシイ社会問題に取り組み、圧倒的な暴力と向き合っている人達がいた。「命がけ」の人たちを前にして「いったい自分は何ができるのか、何をしたいのか」と自問し続け、無力感に落ち込んだ日々もあった。すべて「生身の」「名前がある」人びとが動かしていること。身近なものと感じてきた。だからこそ、無力な自分が悔しい。一人でリキむ10代。
そんな時、海の向こうの友人が言葉をかけてくれた。「キョーコ。平和も環境保護も、願いは『幸せな街』を作ることでしょ。あなたの取り組むべき現場は、あなたの足元にあるはずよ。」険しい顔した私に優しく微笑んで「笑顔で行こうよ。あなたが楽しめば、仲間ができて、ちからが生まれるはずよ。」目から鱗が落ちた瞬間だった。そこが原点。

もう一つの原点であるふるさと沼津。 「そうだ、やっぱり私は『沼津』が好きなんだ。港が好きだし、魚が好きだし、日帰り温泉が好きだし、狩野川が好きだし、仰ぎ見る愛鷹山越しの富士が好き。大好き」自分ではいかんともしがたい人生の流れの中での帰郷。 ナンダカンダを失い、ポツリと「地元」に佇んできた私が、重大な発見(!)をした。私の大好きなものを多くの人に知ってもらいたい、好きになって欲しい、楽しんでもらえると嬉しい。で、再び原点に立ち返ったのだ。

私は、みんなで楽しくやることができれば、本当のちからを生めると信じている。「人類みな兄弟」。人とひとのつながりによって、自分は生かされているのだという、至極当たり前の信念。そして、それが一人佇んで失意の底にあった自分を救ってくれた、体を動かしながら学んできた考え方。 

「楽しい」ことが、いつも「楽なこと」とは、もちろん限らない。徹夜で議論し締切りに追われて作業に取り組む。ケンカし、衝突することはいくらでもあるけれど、互いに必死で考えをぶつければ、思いもよらぬ解決策が泉の底から湧いてくる。夜も眠れぬトラブルに憔悴した後には、それを乗り越え、今やいとも簡単にその手の問題を冷静に対処できる「成長した自分」を発見できる。小さな驚きと、羞恥、そして、自信。それぞれの能力の限界と可能性が自然と理解でき、互いの人生観・価値観を認めあえる。仲間全体の知恵と実力が膨らんでくる。障壁を乗り越えるべく、仲間と相互に激励しあい、終幕に感動を共有できる素晴らしさは、我らが会に限らず、人生の醍醐味のはず。
その節目節目で、佇んでいた私に、明日への活力と勇気を与えてくれた、原点と原体験。
その流れに、このフィルム微助人がある。

そこには、思いを共有しともに楽しくなることを求めて活動する仲間がいて、それを支えてくれる多くの人がいて、そして住まう人が活き活きすれば輝くであろう、かけがえのないふるさとがある。

私をフィルム微助人に向かわせる、勇気はそこにある。

 この『ダイジェスト版』の発行も「楽しく、みんなで」取りかかった。でも仕上げるのは「楽じゃなかった」。だけど、仲間スタッフ一同、やはりひとつ階段をステップアップしたはず。この発行にお力を貸して下さった皆さま、本会始動以来、さまざまな面でお世話になった皆さま、本当に、心から、ありがとうございます。

我が会は、燃焼系アミノ式ならぬ永久進化系組織。今の姿、形、思いを此処でとりあえずひとまとめ。会は生きている。楽しんでいる。ちからは増強されつつある。

刮目せよ!

怯まず進め我らが友よ、敵の鉄鎖を打ち砕け!ときたもんだ。

■エキストラ登録システム やっとこさ再開 

約3500名を超えたエキストラ登録者の管理を行うのは限界に達した。手作業でのメルアド変更、これがおっつかないのだ。これまでは携帯メルアドは不可としていたが、実際には携帯メルアドの登録も多く、入力間違い、メルアド変更によりエラーで戻ってくる数も増えてきた。メールが届かないんですが、といった質問も多い。携帯電話の機種や提供サービスによってエラー内容も異なるので、わからないことも多い。しかもメールでのやりとりは限界がある。届かないんですけどーというメールに、えーい面倒電話しちゃえー!と会の通信費を捻出するのも厳しいという状況なのだ。

時代に応じて、兼ねてより会内外で希望されていた携帯メルアドの登録も考慮して、新しいシステム移行を検討してきた。基本、お金はないので、無料サービスで我々がやりたいことができるサービスを比較するのに時間がかかった。結果、行き着いたのがみなさん御馴染みの「まぐまぐ」なわけだが。

迅速にシステマティックに、しかも安価にエキストラ手配を行うには、ITを駆使しなくてはならない。予算があれば一括で対応できるシステムを導入可能となるだろうが、やりたいことをいくつかにわけて、それぞれ異なるサービスや安価なソフト導入、システム導入をしながら、使い分けるに留まった。いやーでもこんな時代に生まれたからこそできる支援形態だなーと思うよ。ホントに。

ロケ支援やイベント事業を行うかたわら、ホームページリニューアルとエキストラ登録システム導入、よくも4ヶ月で作業を終えられたものだ。スタッフの徹夜の作業に感謝。もうすぐホームページがお目見えする。(どしゃぶり涙ぁ~)残念ながら間に合わず、近日公開のページも多少あるが、近いうちに公開を予定している。乞うご期待。更なる支援をおねっげーします。

■こんなスタッフ(正会員)募集 その3 

「実際、こんなことできますっていうスタッフいないよ」と事務局伊藤に言われた。

過去20年振り返ってもそんな人はいないような気がしてきた。9/6 18:00待ち合わせ、台風真っ只中ロイヤルホストにて、新しいスタッフ入会希望者との面談時、更に近い過去を振り返った。こんなことできます!したいです!といったスタッフを数えらた、片手で足りた。

彼女もそうだが、かねてから「ずっと以前から、フィルム微助人さんが立ち上げの頃からホームページ見ていました。今回思い切ってスタッフになろうと思いまして」という方が片手ほどいる。待てよ、5年とか6年とかたっているわけでぇ~。もっと早くに会いたかったなー。その5年っていう待ち続けた年月は何を考えていたんだろうか。どんな会になるのか見守っていたのか。子育てが落ち着くまでか?いや、みな独身だ。夢中になっている彼と安定期に入ったからか。仕事の安定だろうか。うーん。もっと早く会いたかったよ。まっ!つたないオイラが作ったホームページを歴史を追ってみていてくれた事には感謝なんだけど。

まーそんなわけなんで、臆せず、みなさんヌル目のやる気をもって、ご連絡くださいませ!ホームページリニューアルされますとスタッフ募集のページもグッドな感じでお目見えしますゆえ、ネッネッ。

■こんなスタッフ(正会員)募集 その2 

で本題。スタッフは自分専用パソコン持っていること。電話回線でないネット環境にある人。メール設定が自分でできる人が前提だす。

【興味】
・スキルアップしたい人
・新しいことにトライしたい人
・何かの役にたちたいと思っている人

【能力】
・メール打つのが得意な人
・整理整頓が好きな人
・人と接するのが好きな人
・コネクション、顔が広い人
・お金をもっている人(←微助人オフィス作ってくれー)
・調査するのが好きな人
・ネットに詳しい人

【趣味】
・テレビ番組、映画、芸能人に詳しい人

【技術】
・映像制作経験がある人(←雇用したい位)
・テレビ番組運営(しゃべる、原稿作成等)してくれる人
・イラスト描ける(デジタルデータ処理含む)人
・ブログ描ける人
・エクセルなどパソコン処理が得意な人
・ユニークな文章や、公的文章が書ける人
・印刷物(DTP)を作れる人

ざっくり思いつくものを書いてみた。新聞作りたい。ラジオやってみたい。エキストラさんと再会したい。映画みたい。これからはブログですよ。ホームページ観やすくしましょう。というスタッフがいて過去様々な事業を行ってきた。今度はあなたの出番ですよ!培ってきた能力を再発揮。新しい芽を開花!

フィルム微助人は、あなたが活躍する場があります。

■こんなスタッフ(正会員)募集 

現スタッフの全員が活動を通じて知りあった仲間だ。18人のうち、別団体で知りあった友人が3人。友人のそのまた友人というのが3人。ホームページのスタッフ募集からきた人が12人。

ホームページ、事業報告の原稿作っていて思った。当時は●●さんがいたからこの事業ができた。●●さんこの事業よくやったな。などと振り返った。こういう活動をしているとやったらいいな。と思うことは星の数ほどある。それをどう実現させるかできるかは、至極簡単。「やりたいヤツがやる」だけだ。

~やりたいヤツがやる~
が、「やりたいヤツがやる」を楽しめる人がいるかどうかは別問題。自分一人の力では実現厳しいが、仲間がいてある程度の予算がありできる環境を幸せと思えるか思えないか。「はい!わたしやります。責任もってやれます」と自ら挙手する人はそういない。飲み会や日頃の活動から意気投合する仲間がいて「やってみたい!」と思うチャンスは少なからずある。そういうチャンスを形にできるかどうかだ。

~会の目標と個人の入会動機~
ある会議で、それぞれの目標が違うから連携は図れない。という人がいた。おかしいやね。誰もが目標は異なる。じゃーなんで組合や国などの集団が成り立つんだい。(余談です)
どんな組織でも、会がもつ目標とそれに関わる個人の目的は異なって当たり前。当会であれば、映像支援による地域おこしが会の目標。何かの役にたてたら。からスキルアップしたい。面白いことしたい。という個人が参加してくる。目標のために事業があり、その事業を担う個人が様々な興味をもつから事業が達成できるわけだ。町内会だって、サークルだって同じ。

うんで、前置き長すぎ。になったが、ホームページリニューアルに向けて、こんなスタッフ(正会員)募集です。

■もうすぐホームページリニューアル 

6年の間で、今回で4回目のリニューアルとなる。5デザインとも名称や内容も大小変化があった。

一年ちょっとで1回か。ってことは一年おきに、ホームページ原稿作っているっていう計算。日々進化というけれど、自分達の成長と世の中の変化に応じてアレコレ考えた結果、ホームページ内容の修正に迫られれるわけだ。

■静岡県 撮影支援団体 理想の連携体制まずは会議から 

今日は静岡県で撮影支援団体が集まっての会議。

何のための会議なのか。目指すものは何か。ここ数年、担当者が変わってからというもの、これがいつもギモンだ。

日頃活動をしていて日常的にこうあったらいいのに、と思うこと。そこから会として目指す方向を定めていく。今の静岡県に必要なことは、連携だと思う。当たり前のことで、それぞれが個別に必要に迫られての連携は脈々とある。数年たって、個別の連携は限界があると思う。

昨年しずおかロケーションマップを作って取材のため様々な方と話をする機会を得た。そこで得たものは、その後のロケ支援に大いに役立ったが、それっきりのお付き合いのところもある。自治体や企業がどのように考えていてどう動いているのか。これを密に知ることがロケ支援でどう迅速に動けるかに関わってくる。我々民間のできることできないこと。行政の得意不得意分野を考える。我々が容易にできないが県ができるものとして会議召集があるかと思う。また各自治体や企業、撮影支援団体がどんなことを考えているのかを掌握するのは我々より得意ではないかと思う。そこからどういう方向に導けば良いのか。答えをもっているのではないかとも思う。

少なくとも、数年前は定期的な会議をもちネットワークを検討し、規約作成などの準備も県主導で行っていた。あの頃は良かった。(あえて言う。あの頃は良かった)私の知らないところで何があったのかは計り知れないが、会議に行くと何かしらの進展があり、次の会議へとステップアップしていく。キャッチボールができる会議であった。目指すものを見出し、必要に迫られ会議を行う充実感があった。撮影支援団体の役割と、県の役割がある程度わかりあえていたとも思う。

地域が各々活性するようサポートできるのは県であるのではないかと思う。会議召集をし、各々が議論できる場をもつ。発展的な会議によって各々がそれぞれの力を少しずつ出し合うことで、補助金等のお金、コストをつぎこまなくても、同様いやそれ以上の成果が生まれると確信している。先般「協働フォーラム」なんていうのに参加させてもらったが、ココでよっしゃ!と力まない(←県が)と協働なんてものには繋がらない。

我々と異なり担当者サイドでいろんな事情があり思うように動けないことがあるのかもしれない。事情を察しないでもないが、そうやって数年が過ぎただけで成果を出していないのはとても歯がゆい。そんなことを考えながら静岡へ行く。

■サポーター会員さんに言われた嬉しい言葉 

映画「クライマーズハイ」ロケで、エキストラ出演で参加されていたサポーター会員さんから「金子さん、ブログ更新してないじゃん」「いやーこれこれこれこれ」「いや微助人のほうでなく、理事長ブログだよ」「あーそうですね」と。

理事長ブログできたものの、書くことは悩み事ばかりで、思わず投稿ためらってしまう。アクセス数少ないから「誰も見てないだろう」くらいに思っている。「やべ、見てくれている人いる」と最近更新に励んでみたりしている。

「おれは微助人のサポーターだからさ、これからも応援するからさ」(ちょっと美化されているかも)と続けて、彼は言う。
机上でこうしたらいいんじゃないか。ああしたら良くなるんじゃないか。と考え、動いていく。喜びもあれば失敗して後悔もある。ヨロコビより後悔の方がインパクトある。後悔が続くと動くのが怖くもなる。そんな日々の変化に、こうした声をかけてもらえることが、明日も頑張ろう!に確実につながるわけで至極単純。初心に帰るというけれど、活動範囲が広がり、作業が増えていくと、支持をされるということが日常になりありがたみに気がつかなくなる。自分達がこうしたら街は変われる!面白い!と思ったことに、賛同してお金をだしてくれて、且つ行動してくれるサポーターがいる。コレってやっぱりスゴイことだよね。っと初心に帰った思いである。「継続は力なり、継続は力なり」。

■9/19は会立ち上げの日 

父の七回忌法要準備で思い出す。9/19は、会立ち上げの日。

正確にはフツフツと設立準備を進め、「めざせ!沼津フィルムコミッション」という名前のホームページをアップした日が9/19で、その日を立ち上げ日とした。意気盛んに燃えていたときだと思う。翌日20日はコーストFMラジオ収録で仲間と焼肉屋「本多苑」でバカっぱなしをしていた。家では父が急死していた時間で、翌夕冷たくなった父に気づいて、通夜、葬式を迎えた。頑張ろう!が一気に急降下。悲しみの日々を過ごすはずが、ロケ支援に追われていた。家もゴタゴタしていた時だから一つのことに集中して悲しむ時間なく過ごした。当時のパワー源は全てがネガティブなものだった気がする。それゆえに湧き上がる思いは即行動にうつされたことを思うと、現在はパワーダウンしている。「若さゆえの怖いもの知らず」っていっても当時30才か。

微助人設立6年というと、私にとってそれは父の七回忌でもあり。旦那の誕生日も覚えられない私にとっては、ちょうどイイ具合。同時に父の葬儀でメソメソする私に「金子どうよ、どうよ」と数時間おきにバカっぱなしの電話をかけ結果的に慰めてくれた設立メンバーの命日も9月に迎える。そうやって今年も9月を迎える。

微助人活動で思い悩むとき、あんなときでも、ロケ支援やっていたんだよね。じゃー続けなきゃね。となる。やっぱし今でもネガティブパワーじゃん。(笑

■「もっと戦え~!(もっと話し合えよ)」 「言いたいことがあるなら、ちゃんと言えっ!」 

微助人のスタッフこやまが家族の転勤のため今月ドイツへ移住。

「言いたいことがあるなら、ちゃんと言えっ!」
「言いたいやつには言わせとけ!」

と私は心の中で叫び、スタッフこやまは日常的に口に出す。真似ようにも真似られない能力。集団組織において、この言葉を発せられる人間がいるかいないかは飛躍できるかできないかの大きな境目になるでしょう。この言葉によって解決される。目の前にある難題をタイムリーに突破する力を持つでしょう。

リーダーとして、懐広く寛容でありたい。と願うものの、時には厳しいことを言わなくてはなりません。罪を憎んで人を憎まず。「管理者セミナー」にも行きましたが、どういえば目指す結果を得られるのか。なかなか思う結果を得られるには時間がかかりそうです。歯がゆい思いで、事業を進めていると、スタッフこやまは、ふいに「言いたいことがあるやつは、ちゃんと言えっ!」「自分のことだ!責任持て」と発します。うんで、雨降って地固まるわけです。

厳しいことをみんなの前で言うことは、本人にとっても勇気がいりますよね。子育て同様、見本となるよう親は姿勢を正していなくてはならない。ましてや自分の子供でも、雇用関係にあるスタッフでもない相手に、厳しいことを言えるかって、「いやーん、嫌われちゃうかも」なんて思いも含んで躊躇しちゃいませんか?

私は、いくつかの会議で発言してくると、あとになってドドーーンと重たい反響がかえってきます。うんで、だんだん「言いたいことを言わない」自分がいます。組織の中のリーダーとして、外部に対して代表者としてどうあるべきかを、スタッフこやまは教えてくれました。そばで学ぶことができて微助人を作ってよかったと思うわけです。大人になってそういう仲間ができることのヨロコビ。そんでお別れ。出会いに感謝ですわい。(←そんなまとめ方でいいのか、自分)

■今日の作業8/31 

日頃スタッフと会合を開けるのは月1回。役員は月に2回。その他、作業にあわせて個別に会う。その他は数本のメーリングリストを使って事務連絡をとる。撮影支援やイベントが続くとツライのが潤滑油となる無駄話系がおざなりになること。円滑なコミュニケーションの上に、タイムリーな活動は成立する。

webやデジタルツールに強いスタッフが入ってから、skypを頻繁に使うようになった。今日も、いくつかの作業をこなしつつ、こんな夜中にskypでチャット。チャットの合間に、エキストラ登録者へ一括送信メールを配信するスタッフがいる。バカっぱなしをしていると学生時代を思い出す。夜中まで作業しながらふくらむ無駄話、これが楽しいのだ。

・終了:映画支援の残務処理。
・新規:CM撮影の撮影延期処理。
・新規:映画撮影のエキストラ手配処理。
・新規:CM撮影の問合せ処理。

・伝染歌鑑賞会の残務処理。
・エキストラ登録新システム発信作業。
・サポーター会員発信用メール文作成。
・ホームページ掲載原稿作成。
・ホームページリニューアルアップ日のための準備。

これが今日の夕方からの作業。午前中は何をしたのか記憶もなかったり。

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